タイトルに釣られて来た皆様、こんにちは。
あまねです。
当然、いつもこのブログを読んでくれている方からすれば僕からこのようなセリフが出てくるはずがないのは重々承知のことでしょう。
タイトルはあくまで問題提起。
洋服のブランド、とくにハイブランドと呼ばれるものになればなるほど、歴史や哲学が重要視される傾向にあります。
このような知識はファッションを楽しむ上で本当に必要なものなのでしょうか。
今回はそんな洋服の楽しみ方についてのお話。
ファッションに歴史や哲学って必要あるのか、僕自身の意見を語っていこうと思う。
こういう知識って煙たがられること多いよね笑
ブランドの歴史、洋服に込められた哲学なんかに価値を見出したい僕としては時々、こんな風に感じてしまうことがあります。
「洋服着るときにイチイチ、歴史や哲学なんて考えないよ」
まあこれはかなり極端な例であって、さらにファッション界隈の溝を深める結果になりかねないようにも感じてしまうのですが、それはさておき。
「それはなぜだろう?」
今回改めて考えて見る事にしました。
そして一つの可能性が頭に浮かびました。
それは
「このような知識(ブランドの歴史や哲学)がファッションにおいてマウントの道具として利用されることが多いから」
だと僕は思います。
例えばユニクロや多くのファストファッションブランドに対して投げかけられることが多いのかもしれません。
「あの手の洋服にはブランドとしての哲学がないよね。」
(詳しくは後ほど後述しますが全くそんなことはありません。)
知っている人が知らない人にマウントをとる。
このような上下関係を作る目的で歴史や哲学のような知識を利用されることが僕は残念でなりません。
歴史や哲学はあくまで楽しみ方の一つ。
「純粋にコーディネートを楽しむ。」
「誰かのかっこいい着こなしを真似してみる。」
そして
「洋服の歴史や哲学について考える。」
どれも本物であり、尊いものだと思います。
どれが上だとか、どれが下だとか、そんなことは決してない。
人それぞれでいいんですよ。
ではなぜ、僕はわざわざこのような記事を書くのか。
それは洋服の歴史や哲学について考える人が少数派だからです。
(そもそも高額な洋服に手を出しにくい社会情勢というのもあるかもしれませんが)
洋服好きの大部分はおそらくコーディネートが好き、着こなしを考えるのが好きという方だと思います。
僕のような洋服のバックグラウンドが好きというのは少ないと思います。
それはあまりにも寂しい。
もちろん、みんながみんな高い洋服を買うべきだとは思いません。
でも洋服の楽しみ方の一つとしてこのような世界があるということを知るきっかけになれればと考えています。
だからこそ僕はブログやツイッターを通して情報発信を続けていきます。
それでも一番大切なのは直感。
とはいえ、どこまで突き詰めても所詮、知識は知識です。
洋服の楽しみ方の一つでしかないんです。
ファッションにおいて一番大切なのはやはり「直感」だと僕個人は考えています。
「めっちゃ、かっこいいじゃん!!」
この気持ちが何より大事でファッションにおいての本質だと思います。
変に知識ばかりに振り回されてると自分の直感はどうしても鈍ってしまいます。
つまり本当にいいと感じたものを着る機会を逃してしまいます。
それはあまりにもったいない。
実はこれに関していえば今の僕自身にも当てはまります。
特にヨウジの服なんかは前々から気になってはいるのですが
「僕が着るのにふさわしい服なのだろうか?」
といった思想に阻まれいつも購入を躊躇ってしまいます。
ルールに縛られてファッションをしている人がかっこいいはずがありません。
知識はあくまで知識。
やっぱりファッションは自由であるべきです。
補足
先ほどユニクロやファストファッションの洋服に哲学がないような表現をしてしまいましたが、僕はそんなことは全くないと思っています。
そもそも大企業ですしバックには洋服について深く学んだ人が必ずと言っていいほどに存在しています。
つまりハイブランドが表現したいであろうデザインに込められた哲学。
それについてもしっかり理解した上で低価格帯な洋服に落とし込んでいるんです。
さらにいうとファストファッションって良いデザインをより多くの人に楽しんでもらいたい。
お洒落のハードルを下げていきたいという立派な哲学も存在しています。
そう考えるとファストファッションもなかなか尊いもののように感じられます。
ファッションに歴史や哲学って必要ありますか?
最後にタイトルに対する回答をしていきたいと思います。
先ほど歴史や哲学は洋服における楽しみ方の一つと説明しました。
さらに深掘りして、それはどのような時に必要になるのか僕なりの意見を述べたいと思います。
それはつまり「差別化」なのだと思います。
洋服なんてものは所詮、量産品なんです。
お金を出せば誰でも同じものを買える。(オートクチュールを除く)
じゃあ、全く同じ洋服を買えばその人を真似をできるのか?と聞かれればそうではないのだと思います。
「僕はこのアイテムをこのように解釈して着ているんです。」
「私はまた違った解釈で着ています。」
歴史や哲学を理解して着ていればこのような思想の違いが生まれて来ます。
これってめちゃくちゃ楽しくないですか?
ここで面白いのは人それぞれ歴史や哲学の解釈が異なること。
つまり、歴史や哲学の解釈なんて人それぞれでいいんです。
正解を決めつけるからこそ無駄な争いが生まれる。
何度も言いますが「みんな違ってみんないい。」
ファッションは自由です。
色んな考え方があって、正解があって。
そして、それを尊重しあえるような文化が育まれればいいなと僕は考えます。
【私のプロフィールです!】
【Twitterフォローよろしくお願いします!】