「ガブリエル・シャネル」
ファッションの世界でこれほど愛される人物は他にいないと思います。
その知名度は服装の領域にとどまらず、20世紀を代表する女性の一人に数えられることも少なくありません。
ファッション、香水、化粧品、時計、ジュエリー。
ブランドが現存していることもあり、ファッションに興味のない人でもシャネルの名を耳にする機会は多いはず。
今回はそんなシャネルの前半生を描いた映画「ココ・アヴァン・シャネル」の感想を語っていきます。
【映画感想】ココ・アヴァン・シャネル【メンズファッションブログ】
このブログはメンズファッションブログですので映画の純粋な感想はよそのブログにお譲りするとして、
ここでは服装文化から見た感想を語っていきましょう。
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(当記事にストーリーにおけるネタバレ要素はないのでご安心を。)
波乱万丈な人生。
シャネルの人気の高さはその波乱万丈な人生によるところが大きいでしょう。
孤児同然の子供時代、キャバレーでの歌手時代、貴族の愛人としての生活、恋人との死別。
成功と挫折を繰り返し名声を高めた生涯は当時の女性の憧れであったはず。
「ココ・アヴァン・シャネル」ではその前半生が繊細に描かれています。
孤児同然の子供時代。
「ココ・アヴァン・シャネル」は主人公ココと姉のアドリエーヌが馬車に乗り、孤児院に預けられるシーンから始まります。
孤児院では皆が黒と白の制服を着せられ、とても裕福な暮らしには見えません。
しかし、ここでの経験がシャネルがのちにモノトーンのファッションを好むきっかけになったと言われています。
歌手時代。
ガブリエル・シャネルに「ココ」という愛称がつけられたのはキャバレーでの歌手時代と言われています。
17際の頃、ココと姉のアドリエーヌはフランス中部の都市ムーランでお針子として働き始めます。(2人は修道院で裁縫を学んでいました。)
パリに行きたいという夢を持っていた2人は夜の仕事としてキャバレーで歌を歌っていたようです。「ココ」という愛称はその頃の持ち歌、シャンソンの歌詞が由来しているとのこと。
チップをもらう際に客から
「ちょっと座れよ。」
と言われますが
「娼婦ならあっち。」と言い返します。
この辺りあたりも描写からも男にこびない女性としての強さが感じられます。
ムーランには陸軍の宿舎があり、これが当時たまたま従軍していたブルジョワ出身の青年将校エティエンヌ・バルサンとの出会いに繋がります。
最初はツンツンとしたココですがなんやかんや夜を共にする仲に。
貴族の愛人との生活。
従軍が終わりバルサンはフランス近郊都市ロワイヤリュに戻りますがココはなんやかんや言い訳をしながらついて行ってしまいます。
バルサンはこの頃、ココを愛人程度にしか考えておらず、何度も屋敷から追い出そうとします。
ところがめげずに居座ろうとするココ。
居候する身分ではありますがバルサンの言うことはあまり聞かず、とても御行儀がいいとは言えません。
ココは貴族との暮らしの中で乗馬や競馬を楽しみながら、スポーティーな服装やシンプルな帽子のファッションで周囲の女性に影響を与え始めます。
帽子屋の開業。
バルサンの屋敷で出会った運命の男性。
イギリス人青年実業家アーサー・カペルの支援の元、パリで帽子屋の開業を果たします。(映画ではバルサンは猛反対したような描写になっていますが本当はバルサンの支援がきっかけだったようです。)
デザイナーとしての成功。
終盤はかなり駆け足となりますがココがデザイナーとして成功した描写で締めくくられます。
多くのモデルに拍手されるココの満足げな顔は映画の中でも特に印象的です。
ココの才能。
財産も学歴もなかったココが一流デザイナーとしてのし上がることが出来たのはもちろん数多くの努力があったから。
しかし恋人アーサー・カペルも話していたようにココは自分のスタイルを持っていました。
そんな才能も物語の中で鮮明に描かれています。
裁縫の腕。
ココと姉のアドリエーヌは修道院で同じように裁縫を学んでいました。
しかし姉に比べてココは裁縫の腕が特に優れてたようです。
姉「裾のフリルよ。」
ココ「そんなの簡単だからできるでしょ。」
姉には出来ないこともココは簡単にこなしてしまいます。
ココの服装美。
ココは従来のような派手な装飾や贅沢を忌み嫌っていました。
それは運動や実用が目的であったのかもしれませんが、やはりシンプルこそが着る本人の魅力を引き出せると考えていたようです。
またウエストを締め付けるコルセットを否定する描写も多く見られます。
キャバレーでの歌手時代からすでにココのセンスは光っていました。
コルセットで締め上げた衣装に躊躇いもなくハサミを入れ、ゆったりとした雰囲気に作り替えてしまう描写が描かれています。
「こんなに締め付けてちゃ動きにくい。あと10センチは緩めないと。」
コルセットでウエストを締め上げることが美しいとされていた時代でココは独自のスタイルを持っていたようです。
ココは貴族の嗜みである競馬の観客席を見て姉アドリエーヌに
「あれ見てよ。退屈が並んでる。」
と言い放ちます。
「いずれ向こうからすり寄ってくるわ。」
というセリフは見事、伏線になったわけです。
ある時、ココはバルザンの元愛人エミリエーヌに仮装衣装のデザインを頼まれます。
エミリエーヌは派手なのにして欲しいと頼み込みますがココは頑固にも自分の意見を突き通し質素なデザインの衣装を完成させます。
結果的にパーティーが終わるとココはエミリエーヌに
「正解よ、男が興奮する見たい。」
と感謝をされます。
(エミリエーヌは貴族でありながら、初めからココのセンスを信頼していました。)
恋人アーサーカペルと海に行った時は
「銀食器を着てるみたい。」
「絞めすぎてウエストからちぎれそう。」
「頭にメレンゲ載せてるケーキ屋にいるみたい。」
などと貴族の服装を酷評します。
映画はシャネルを神格化しすぎている?
映画の最後に以下のような文章が流れます。
60年間のキャリアでココ・シャネルは現代女性の服装を決定づけた。
多くの著名人がそのスタイルを受け入れた。
彼女は男性社会に最初に踏み込んでいき
その名を冠した帝国は今も揺らがない。
生涯結婚はしなかった。
1971年1月ある晩に亡くなるまで仕事をし続けた。
その日は日曜日ここが嫌いな日だった。
特に最初の1行目ですがいささか誇張しすぎているかもしれません。
劇中でもコルセットを過去のものにしたのはココの功績のように描かれていますがこれは正確ではないのです。
当時、クリノリンやバッスル、コルセットを外したスタイルはポール・ポワレやマドレーヌ・ヴィオネがすでに考案しており目新しいものではありませんでした。
香水事業を初めて成功させたのもポワレですし、カッティング技術で高い評価を得ていたのはヴィオネでした。
ここまでココが神話のように語られているのはこの映画がシャネルの全面バックアップで作られているからかもしれません。
シャネルは歴史上初のインフルエンサー。
とはいえ、シャネルが大した人物ではなかったと言いたいわけではありません。
伝えたいのはシャネルの偉大さを正しく理解するべきということ。
シャネルの偉大さは今風に言えばインフルエンサーであること。
それも史上初にして最強のインフルエンサーです。
20世紀の女性としてふさわしい生き方を貫き、一つの模範解答を示したこと。
孤児として生まれ、貴族の愛人と上流階級の世界の空気をたっぷりと吸い込んだ生き方。
シャネルの最大の作品は彼女自身であり、それこそが神格化されるべきであると私は思います。
まとめ:ココ・アヴァン・シャネル
やや現実と異なるであろう部分もありますが当時の服装文化を感じることができる貴重な映画です。
デザイナーの歴史を勉強する上で映画って一番効率の良い手段であると思います。
もちろん本気で勉強するなら本で学ぶ必要はありますが、とっかかりとしては十分だと思います。
映像を見た後だと知識の吸収も早いです。
今回の記事は以上です。
デザイナーの歴史に興味がある人は是非、見てみてください。
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